2010年9月25日土曜日

チラシ裏面の文章

展覧会のチラシがすこし出回るようになって、「見ましたよ!」「かわいいデザインですね!」とのうれしい声がちらほらと届くようになりました。

なかには「おいしそうですね」なんて感想もあり、展覧会のサブタイトル「いとおしいやきものたち」を「おいしいやきいもたち」と読み違えてしまった、なんて方もいらっしゃったり。

読み間違えはかくも創造的なり。

そして裏面には、展覧会チラシにはあるまじき長い文章が掲載されています。文章量だけを見ても分かっていただけるように、ここには企画者の想いがつまっています。

ですので、読みにくいかもしれませんが、このブログにも再録しておきます。




今から二百年以上も前につくられたという巨大な甕を指差しながら、小石原の陶工が言いました。「これね、形はいびつだしすこし割れてもいるんですよ。その意味ではいわばB級品です。だからこそ今に残っている。私にはとてもいとおしく思えるんですよ」
 
陶工のこの言葉から、やきものの「いとおしさ」をめぐる旅が始まりました。

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 飛び鉋や刷毛目の模様で親しまれている小石原焼のうつわ。福岡に住む人ならどこかで見たり使ったりしたこともあるでしょう。福岡県朝倉郡の小石原に軒を並べる五十軒ほどの窯元が、十七世紀にまでさかのぼるという長い伝統を受け継ぎながら、暮らしに映えるうつわをつくり続けています。
 
そして小石原から山をひとつ越えたところでも、同じ技法を特徴とするやきものがつくられています。それが大分県日田市の小鹿田焼です。その歴史は十八世紀の初め、もともと小石原の陶工が招かれたところから始まります。ですから小石原焼とはいわば兄弟窯の関係。十軒の窯元は昔のままに共同でやきものづくりに勤しみ、集落全体がひとつの家族のようにして暮しを営んでいます。
 
このふたつの窯から生みだされるやきものは、ときとして見分けがつきません。しかし素材となる土は、はっきりと異なります。小石原焼では小石原で採れる土が、小鹿田焼では小鹿田で採れる土が用いられ、それぞれの土の性質に合った器形や技法、焼成温度が長い歴史のなかで試行錯誤されてきました。できあがったうつわに見た目の大きなちがいがないとしても、この土のちがいが両者の今を支える大切な拠り所となっているのです。

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 冒頭の言葉を聞かせてくれた陶工は、続けてこんなふうに言いました。「きれいにできたやきものは人の暮らしのなかで使われて、割れて、大抵が消えて無くなってしまうものです。しかしそれが、私たちの理想とする仕事なのかもしれませんね」 

土から生まれたやきものが再び土に帰るということ。その循環を思い描きながら陶工は轆轤を回し、窯に向かうのだといいます。

生きとし生けるものは全て、生まれると同時にいつか死ぬことを運命づけられています。いずれ形を失うやきものもまた、限りあるがゆえの命を持ちえるのでしょう。ただしそれは陶工の手だけが与えるものではなく、陶工の手を離れる瞬間にも宿るもの。つくる人から使う人へと委ねられ、土の循環、時の流れへと放たれる瞬間から、やきものはその天分を生きはじめるのかもしれません。

土と交わる陶工の手は、自分の個性を発揮するための道具であると同時に、自分を超える遥かな流れ、長大な広がり――それを伝統や風土と呼んでもいいでしょう――と自分をつなげるための回路となりえます。その手から生まれたやきものが残らないとしても、その手から生みだされる仕事は子どもから孫へ、百年先二百年先へと伝えられるにちがいありません。

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小石原であれ小鹿田であれ、陶工たちは家族を支える生業として日々やきものづくりに勤しんでいます。そこでは同じ形のうつわを大量につくることも大切です。一見単調な作業に思えますが、じつはとても複雑で創造性に富む営為でもあります。同じに見えて天候やその時々でわずかに異なる土の声に耳を傾けながら、同じに見えて日々調子や気分の変わる身体を細やかに調整し、土と交わること。その一回ごと一日ごとの労働の積み重ねがゆたかな生活となり、未来の希望へとつながっていくのです。

花や樹や鳥をいとおしく慈しむのと同じように、やきものをいとおしむ。そんな感性を大切にすることで私たちは、幸せに生きて在るための、今とはちょっと違う方法も見つけられるのではないだろうかと、小石原と小鹿田への旅は考えさせてくれました。

竹口浩司(当館学芸員/展覧会企画者)