2011年5月30日月曜日

「野十郎からの手紙」

ただいま「野十郎への手紙」を皆さんから募集しています。

そして、皆さんから寄せられるであろう手紙を先取りして、なんと高島野十郎からの手紙が届きました!

...... という設定で、展覧会担当の竹口学芸員が、野十郎が遺した手紙や言葉をもとに架空の「手紙」をつくったそうです。

6月11日、展覧会がオープンしましたら会場に掲示されるようですが、一足早くこのブログでもご紹介いたします。

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拝啓  今日は私の絵を見に来てくださってありがとうございます。
いささか照れますが、絵の前でゆっくりと
時間を過ごしてもらえればうれしく思います。

三月十一日に大きな地震が起きて以来、心静かに暮らすことさえ難しくなりました。
こんなときこそ私たちは、地に足を付けた生活の大切さを知るのかもしれません。
どんなときも顔をあげれば空は大きく広がり、
雲は変わらず流れ、誰に見られるでもなく花は咲きます。

天上天下唯我独尊という言葉があります。
釈迦が生まれたときに唱えた言葉だそうですが、本当の意味は分かりません。
けれど、私はこう考えるのです。
世の中のあらゆるものが唯一無二の存在であり、ただそこに在るだけで尊いのだと。

私はすすんで世捨て人になろうとしました。
人間同士のつきあいや世の中の常識など一切をかなぐり捨て、
自然をありのままに、好きも嫌いも美も醜も一緒くたに見ようとしました。
私にとってはそれが絵描きであるための条件だったのです。

私の絵を見て他人は「まるで写真のようだ」と声をあげます。
けれど絵には、私のひと筆ひと筆が重ねられています。
そしてひと筆ひと筆には、絵具だけでなく私の孤独もまた塗り重ねられているのです。
小さな砂であれ大きな空であれ、近くの花であれ遠くの月であれ、
自然はいつも私のことなどそ知らぬふりで、ほほ笑んでもなぐさめてもくれません。
ましてや分かりあえることなどないでしょう。

ただ、私というちっぽけな存在は、
太古の昔から変わらずあるはるかな自然に救われてもいるのです。

描くことは生きること。
自然を描くことで私は、自然によって生かされているのかもしれません。  敬具

二〇一一年夏

あなたの心のなかに棲む、髙島野十郎より

展覧会場を訪れてくださった、親愛なるみなさまへ



*この「手紙」は、野十郎がのこした手紙や言葉をもとにした架空の文章です。

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野十郎の絵を見て、彼からの「手紙」を読んで、今度は皆さんから野十郎に「手紙」をしたためていただければうれしく思います。